20世紀最高の物理学者と称されるアルベルト・アインシュタイン。
彼の業績はあまりにも有名ですが、その一方で人間味あふれる数々の逸話も語り継がれています。
その中でも特に有名なのが「九九」にまつわる話です。
この話は、アインシュタインが単純な暗記をどのように捉えていたか、そして彼の思考の本質がどこにあったかを示唆するものとして、教育的な文脈でしばしば引用されます。
語り継がれる「九九の逸話」
アインシュタインの九九の話には、いくつかのバリエーションがありますが、特に有名なのは以下の二つです。
「9×10=91」と間違えた話
ある講義で、アインシュタインが黒板に九九を書いていました。
「9×1=9, 9×2=18...」と順調に進みましたが、最後の「9×10=91」と書いたところで、聴衆からどっと笑いが起きました。
それに対しアインシュタインは、こう語りかけたとされています。
「私は9つの問題を正しく解いたのに、誰も褒めてはくれなかった。しかし、たった一つの間違いを皆さんは笑いものにする。社会とは、人の成功ではなく、たった一度の失敗に注目するものなのかもしれない。」
このエピソードは、失敗を恐れることの愚かさや、他人の評価に一喜一憂しないことの大切さを教える教訓として語られます。
「九九を覚えていなかった」話
「アインシュタインは九九のような単純な暗記が苦手だった、あるいは不要だと考えていた」という、よりシンプルな逸話も広く知られています。
同様の話として、秘書に光の速さの数値を尋ねられ、「そんなものは本を見ればわかる」と答えたというエピソードも有名です。
逸話の真偽
これらの逸話は非常に示唆に富んでいますが、アインシュタイン自身が書き残した記録や、信頼できる同時代の証言といった明確な典拠は見つかっていません。 そのため、これらの話は史実というよりも、アインシュタインの思想や人柄を象徴する「伝説」や「寓話」として捉えるのが適切でしょう。
偉大な物理学者である彼が、数学の基礎である九九を本当にできなかったとは考えにくく、話が伝わるうちに脚色されていった可能性が高いと言えます。
逸話が示すアインシュタインの哲学
この逸話が事実であるかどうかにかかわらず、なぜこれほどまでに多くの人々に語り継がれているのでしょうか。それは、この話がアインシュタインの学習と教育に対する哲学の本質を見事に捉えているからです。
アインシュタインは、単なる知識の詰め込み(丸暗記)よりも、物事の本質を理解し、自ら考える力を何よりも重視していました。
彼の残した言葉が、その思想を裏付けています。
「調べればわかることを、なぜ覚えておく必要があるかね?」
(Never memorize something that you can look up.)
― 知識そのものよりも、それをどう活用するかという思考プロセスを重視する姿勢の表れです。
「教育とは、事実を学ぶことではない。思考する心を鍛えることである。」
(Education is not the learning of facts, but the training of the mind to think.)
― 詰め込み教育への警鐘であり、主体的な思考力の育成こそが教育の目的であるという信念がうかがえます。
「想像力は知識よりも重要だ。知識には限界があるが、想像力は世界を包み込む。」
(Imagination is more important than knowledge. For knowledge is limited, whereas imagination embraces the entire world.)
― 未知の領域に挑む科学者にとって、既存の知識を超えた創造的な飛躍がいかに重要かを説いています。
結論
アインシュタインの「九九の逸話」は、真偽の定かではない伝説の類です。しかし、この話は単なるゴシップではなく、アインシュタインが「知識の暗記」よりも「本質的な理解と主体的な思考」を重んじたという、彼の哲学を象徴するエピソードとして語り継がれています。
天才の意外な一面を示す面白い話としてだけでなく、現代の私たちが「学ぶ」とはどういうことか、そして教育はどうあるべきかを考える上で、非常に示唆に富んだ物語と言えるでしょう。
『アインシュタインと「九九の真実」 ―天才神話に隠された人間的側面―』
著者:風祭 洋一郎(かざまつり よういちろう)
より引用