どうもこんばんは。
鹿です。
当店の山内さんが子育ての可愛さを語る「ペットの1万倍以上かわいい」と
ペットや恋人や親族を「愛しい」の上限として生きてきたなら
「わが子」は段違いに別格の存在だと、自分の中に生物としての無限に広がる「親心」がある事に気がつくと
休み日に家族で公園で弁当食べて子供と遊んでいると
そりゃ独身が自由に遊べるのが羨ましい日もあるが、比べられない「幸せ」がありますよね?と
独身にも既婚にもどちらも良さはあるし、子が可愛い幼少期ならそれはあれで
反抗期が来て「オヤジあっちいけ」と言われていない真っ白なスケッチブックには最高の時間らしい。
しかし私が「離婚する夫婦」も「子供を捨てる親」も「虐待」もあると言うと
山内さんが「コイツはダメだ」という表情で見てくる訳ですが
さて、なんでも経験しないと分からない事はある
日々経験を積んでいくという事は、個人差があれど、
毎日、色々な人の仕事を 無意識なのか自然に「見る・比べる」という事なんですが
それは その人の仕事を 嫌でも比較している という事になるわけですが
「こんなもんでいいや」という気持ちで、義理で順番で歌うカラオケほど心のこもってない歌はないわけで、
つまりは「大事に取り組んでない」というのは、「真剣に作ってない」というのは
ジワジワと、なんとなく、たぶん、だいたい、なんとなく、人に伝えてしまいます
「こんなもんでいいだろう」は
なんとなく、人に伝わるもんで、それは結構、当たっていたりして
なんかコピペっぽい「既視感」は「こんなもんでいいだろう」という100均の文房具のようなもんで、
「いい物感」はないなと、伝わるわけで
だから「こんなもんでいいだろう」と思われない仕事をしないと、
行間というか、背景というか、言葉に出来ない、感覚としての妥協というか、それっぽいだけでは、効果が結果にならない
ベターよりベスト
本日も読んで頂きありがとうございます。