今日は私の話をしようと思います。
「風俗で働くなんて」という人が外野にはいるし、「風俗なんかで働いて」と自分のことを思う女の子もいます。
でも、私は、この仕事の存在に感謝をしています。
外野には何を思われてもいいです。
だから、自分のことを卑下している女の子がいるならば、「そんな風に思わないで」と言いたいのです。
―ふて子の生い立ち
『風俗で働くのに大切なコト』で少し触れましたが、私は、親が今どこで何をしているのかを知りません。
元から親がいなくて、孤児院で育ったわけではありません。
途中までは、父と住んだり、母と住んだりしていました。
でも、その後、私がある程度大きくなると、親は私を捨ててしまいました。
正しくは、祖母に押し付けられたのですが、当時の私は自分が捨てられたように感じました。
その後、どうにか生きてきましたが、祖母が死ぬと、私は路頭に迷いました。
保証人になってくれる親族がいないのは、日本ではいろんなときに困ります。
就職するときにも会社によっては三親等以内の保証人が必要だったりします。
病気になって働けなくなっても、私に病院の手配をしてくれる人もお金を貸してくれる人もいません。
友人はいて、最大限の援助はしてくれるけれど、私にお金を貸せるほどたくさんお金があるかと言うと違います。
お金がないと、暮らしていけないのが日本です。
銀行も、お金がない人にはお金はなかなか貸してくれません。
消費者金融も昔とは違って、たくさんお金を貸してくれません。
そもそも保証人が必要です。
生活保護だって、簡単には受けさせてもらえません。
そんなときに、私は風俗の日払いの仕事に救われたのです。
―親との確執
昼間の仕事のお給料だって、切り詰めればなんとかやっていけるでしょう。
でも、私は何かあって働けなくなったら、自分を金銭的に助けてくれる人はいないのが不安で不安で仕方ありませんでした。
そして、思いました。
「なぜ、私は産まれたくて産まれたわけじゃないのに、こんなに苦労しているんだろう。なんで、お父さんとお母さんは私を勝手に産んで、それでもって捨てて、結局知らんぷりしているんだろう」
不思議なことに、まだ私の中に親へ愛情を求める自分と、もしかしたら今ならうまくいくのではないかと言う期待がありました。
そこで、私は両親を探して会いに行くことにしました。
でも、私が想像していた感動の再会は果たされませんでした。
父には新しい家族がいて、母は母で自立して恋人がいたりして楽しい人生を送っていたのです。
私のことはすっかり忘れているようでした。
思えば、父にも母にも一緒に暮らしているときはひどい扱いを受けてきました。
「いらない子だったんだ」
そう思いました。
……辛かったです。
でも、私はそれを認めて、受け入れることにしました。
期待しても、だめなものはだめなんだから。
「誰にも頼らず、一人で頑張って生きていこう」
こちらがどんなに求めても、返してくれない人は返してくれないのだから。
―病んで、病んで、病んで
死にたいって思っていた時期もありました。
お酒をたくさん飲みました。
首を吊ろうと思いました。
たくさんの男性と関係を持ちました。
危ない遊びもたくさんしました。
いらない子
それは、私の中で、あまりにも重くのしかかってきて、苦しくて、悲しくて、もう親のことを思い出さないように、なるべく考えないように、いろんな記憶に蓋をしよう、蓋をしようと、逃げていました。
でも、あるとき、ついにいろんなものが祟って、自分で自分の命を絶つよりも早く、からだがだめになってしまったんです。
すると、不思議なことが起こりました。
死にそうな状態になると、人間、死にたくないって思うんです。
自分がそんな気持ちになるとは思ってもみませんでした。
そして、そのとき、まわりを見渡すと、私は一人ではありませんでした。
お金を私にくれることはできないけれど、自分が最大限できることで私を救おうとしてくれた友人たちがいたのです。
私は血が繋がっている人たちには捨てられたけど、血が繋がっていない人たちに救われたのです。
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