

昔の人は隠れ上手?本当はエロいことわざ集
ことわざは「昔の人の知恵」として、いまも日常で使われています。
でもよく調べてみると、そこには驚くほど生々しい“性”や“欲望”のニュアンスが隠れていることも。
昔の日本人にとって、恋愛や性は生活の一部。オブラートに包んだ表現や洒落を交えて、ことわざに落とし込むことで「公には言えない欲望」を共有してきました。
今回は、そんな「本当はエロいことわざ」を5つ紹介します。
お客さんとの会話の小ネタにもぴったりですよ。
ことわざは「昔の人の知恵」として、いまも日常で使われています。
でもよく調べてみると、そこには驚くほど生々しい“性”や“欲望”のニュアンスが隠れていることも。
昔の日本人にとって、恋愛や性は生活の一部。オブラートに包んだ表現や洒落を交えて、ことわざに落とし込むことで「公には言えない欲望」を共有してきました。
今回は、そんな「本当はエロいことわざ」を5つ紹介します。
お客さんとの会話の小ネタにもぴったりですよ。
1. 「猿も木から落ちる」
意味:どんな名人でも失敗することがある。
このことわざは一見ただの教訓ですが、江戸時代の文献や川柳の中では「猿=性欲に忠実な存在」としてよく描かれています。
猿は交尾の頻度が高く、人間社会でも「欲望に勝てない存在」として風刺の対象になりました。
つまり「猿も木から落ちる」は「性欲に強い者でもしくじるときはある」という隠された含意を持つ場合もありました。
実際に江戸の滑稽本や春画では、猿が人間の性行為を真似する場面もあり、まさに“色欲の象徴”。
普段「誰でも失敗する」という意味で使うけれど、裏話を知っているとちょっと艶っぽい笑い話に変わります。
2. 「月とスッポン」
意味:似ているようで全く違う。
現代では単なる比較表現ですが、ルーツはもっと艶っぽいです。
「月」は女性の顔の美しさや円満さの象徴。
一方「スッポン」は形や姿が男性器を連想させるとされ、川柳や落語の世界では性的なニュアンスで用いられました。
つまり「月とスッポン」とは「女性の美しさと男性の下半身」という、見た目も格も全然違う対象を並べた洒落。
本来は下ネタだったのが、教訓めいた表現に昇華して残った例なのです。
美術館デートで月を見上げたときにでも、「月とスッポンって実は下ネタだったんだよ」なんて小ネタを披露すれば、場が和むこと間違いなし。
3. 「色男、金と力はなかりけり」
意味:見た目が良い男ほど、中身が伴わないことが多い。
このことわざは江戸時代の遊郭文化と切っても切れない関係にあります。
遊女にとって「色男」は見た目が良くて口も達者な客。
しかし、財布の中身が乏しかったり、体力的に物足りなかったりすることも少なくありませんでした。
つまりこれは「遊女の立場から見たダメ客」を皮肉った言葉でもあります。
華やかに遊んでいても、結局は金や体力がなければ長続きしない──現代でもどこか納得できる話。
見た目に自信がある男性にサラッと伝えれば「耳が痛いな」と笑ってくれるかも。
4. 「坊主の屁」
意味:取るに足らないこと。
実はこのことわざ、江戸時代の風刺においてはもっと性的なニュアンスを持っていました。
当時、僧侶は女人禁制の掟があり、しばしば若い稚児との同性愛的関係が取り沙汰されました。
川柳や戯作では「坊主=裏では欲望に忠実」というイメージが強く、それを「屁=はけ口」と重ねて揶揄したのです。
つまり「坊主の屁」は単にくだらないだけでなく、「性的欲望の発散をバカにした表現」でもあったというわけ。
一見小学生的なジョークのようですが、背景を知るとかなり生々しい言葉なのです。
5. 「女房と畳は新しいほうがよい」
意味:古くなると価値が落ちるものの例え。
このことわざは、江戸時代に普通に使われていた庶民の言葉。
畳は古くなると傷み、快適さが失われます。
そして妻もまた「若さが尊ばれる対象」として見られていたため、畳と同列に語られたのです。
現代では明らかに差別的に聞こえる表現ですが、当時は笑い話として受け入れられていました。
裏を返せば、それだけ性や結婚に関する価値観がストレートだったということ。
遊郭や風俗文化ともつながる視点で見ると、「新人好き」の心理は昔から変わっていないのかもしれません。
まとめ|ことわざに潜む人間の欲望
ことわざは単なるお堅い教訓ではなく、時代の風俗や人々の本音を映し出す鏡。
その中に性や欲望が滲み出ているのは、人間が昔から恋と性に強く惹かれてきた証拠です。
普段何気なく口にする言葉に隠された“エロい裏の意味”を知ると、日常がちょっと違って見えてきます。
お客さんとの会話で小ネタとして披露すれば、場が盛り上がること間違いなしですよ。
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