ステージの照明が落ちた後の、あの静けさを今でも覚えている。拍手の余韻が消えて、楽屋のドアが閉まる音。
「お疲れ様」と声をかけ合ういつもの光景が、ある日突然、永遠に終わってしまった。
地下アイドルの世界は、表に出ないルールでできている。
恋愛禁止。
深夜の私的な外出禁止。
SNSでの無許可投稿禁止。
ファンとの過度な接触禁止。
どれも「グループを守るため」「夢を守るため」と説明される。
でも、そのルールはときに、人の心を少しずつ削っていく。
彼女は、いつも笑顔が上手だった。
センターで歌っているときは、誰よりも輝いて見えた。
ライブ後の握手会では、ファン一人ひとりの名前を覚えて、丁寧に目を見て話す子だった。
「このグループでよかった」と何度も言っていた。
でも、ある日、事務所から連絡が来た。
「規約違反が確認されました。即日活動休止、脱退となります。」
理由は詳しくは知らされなかった。
噂だけが、SNSの片隅で小さく流れた。
誰かが写真を撮ったらしい。
誰かが誰かと一緒にいたらしい。
真実かどうかは、もう誰も確かめられない。
彼女は、グループチャットから消えた。
公式サイトからも名前が消えた。
ファンクラブの投稿は、あっさりと「諸事情により活動を終了しました」とだけ書かれていた。
残された私たちは、何も言えなかった。
「かわいそう」とも、「仕方ない」とも、言えなかった。
だって、私たちも同じルールの中にいるから。
明日は我が身だと、誰もが薄々分かっていたから。
悲しみは、静かに広がる。
ライブのセットリストから、彼女のパートが消える。
衣装のロッカーが一つ空く。
楽屋の鏡に、彼女のシールが貼られたまま残っている。
誰もそれを剥がせない。
ファンの中には、「裏切り者」と言う人もいた。
「夢を壊した」と言う人もいた。
でも、私は違う。
彼女も、夢を見ていた人だった。
ルールを守ろうと、必死に頑張っていた人だった。
ただ、人間だっただけだ。
地下アイドルの世界では、「脱退」という言葉は、あまりにも軽い。
本当は「消される」に近い。
発表も最小限で、謝罪も求められ、痕跡はできるだけ早く消される。
残るのは、ファンの記憶と、仲間の胸の奥のざわめきだけ。
私は今でも思う。
もしあの日、誰かが「大丈夫だよ」と言えたら。
もしルールが、もう少しだけ人に優しかったら。
もし「違反」ではなく「相談」できる場所があったら。
でも、そんな「もし」は、もう来ない。
彼女の最後のライブの映像を、時々見返す。
笑顔で手を振っている彼女が、画面の中でだけ、まだそこにいる。
「ありがとう」と言っている声が、イヤホンの中でだけ、まだ聞こえる。
規約違反で脱退した人を、責めるのは簡単だ。
でも、その裏にある孤独と、追い詰められた夜のことは、誰も語らない。
語れない。
地下アイドルをやっていると、
「夢を追う」という言葉が、時々、
「自分を殺す」という言葉に聞こえる夜がある。
彼女の分まで、今日もステージに立つ。
でも、心のどこかでずっと、
空いた席を見ている。
——さようなら。
ちゃんと言えなかった「お疲れ様」を、ここに残しておく。
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