
20歳のころ
板前の世界に
いたわけですが、
魚の下処理1つで
怒る先輩がいました。
同じ形になれば
いい話なのに
卸し方の手順が違うだけで
癇癪おこす先輩。
いちいち
流儀こだわる
きかぬ気で偏屈な世界。
あほくさ
知らねーよ。
面倒くない
人間関係なんてものは
この世にありません。
マスターの
説教で気づいたこと。
相手に期待しているからこそ
相手のために思って
行動や発言ができる。
相手に関心があるからこそ
一歩踏み込んで
いえることもある。
”この人となら、
人間関係のめんどくささを
請け負ってもいい”と
そう
思えなければ、
積極的な関係には
入っていけないのではないか。
そしてそのためには、
やっぱり相手に対する
希望と期待が必要だと。
なんの希望も
期待もゼロで始まる
人付き合いがあったとしても、
そんな関係には
ちっとも深みがないし、
第一楽しくない。
女性教育でもそう。
その子にたいして
興味なければ完全に放置します。
人から愛される人間になるのか
人から好かれない人間になるのか。
そんなこんなで、
お前がイライラしている
「人に期待しすぎ」は
いい面もあるかもしれない。
そう考えながら
瓶ビールを注ぐ。
モニターに映る
小泉今日子をぼーっと眺める筆者。
なんとなくですが
イラつかせる原因の
解像度が一気に
上がってきました。
イライラするけど
人間関係を始めるには
「期待」が必要だと。
イライラの原因である
他者への期待は
良好な人間関係において
悪いことではないのかな。
相手が、
自分が思っていたのと
違うことをしても、
それをごく当然のこととして
受け入れること。
もっと
寛大になれ。俺。
サンキューな
マスター。
おれは
少しのことでは
もう怒らない。
横に座る知らんおっさんの
たばこの煙。
全部こっちに来てるけど。