こんにちは、スタッフあおしまです。ミラノ・コルティナオリンピックもいよいよ終盤にさしかかりました。連日日本人選手の活躍が目覚ましいですね。
昨日のフィギュアスケート女子シングルフリー、坂本花織さん銀メダル、中井亜美さん銅メダル、千葉百音さん第4位という快挙、素晴らしかったですね。坂本さんは今シーズンで現役引退、惜しくも金メダルを逃しましたが、今までの集大成と見える感動のスケーティングに魅せられました。ただテレビに映った表彰式後その瞬間、私は少しだけ、がっかりしてしまいました。どうしてメダルを噛むの?
彼女たちに限らず、近年のオリンピックでは日本人でもメダル、とくに金メダルを獲得した選手がメダルを噛む姿がよく見受けられるようになりました。誇らしく掲げられたメダル。その輝きは、何年もの努力と、数えきれない涙と、そして数多くの挑戦者たちの夢の上に成り立っているのです。オリンピックに出たいと願いながら、その舞台に立てなかった人はどれほどいるだろう。代表の座を勝ち取り、世界の強豪と戦い、ようやく手にしたその一枚。だからこそ、私は思うのです。――どうか、メダルを噛まないでほしい。
もちろん、それは喜びの表現なのでしょう。海外ではよく見かけるポーズで、「本物かどうか確かめる」というユーモアが由来だとも聞きます。昔は外国選手含めてそんなことをする人はいませんでした。マスコミのカメラマンが選手の表情とメダルを大写しに撮るのに写真映えがするからとリクエストしたことが始まりという説もあるようです。海外では、メダルを噛むポーズは定番の喜び方のようです。ユーモアやサービス精神の一つなのでしょう。それを否定するつもりはありません。けれど私は、日本人であるなら、もう少し違う喜び方があってもいいのではないかと思うのです。静かに胸に抱く。そっと両手で掲げる。あるいは深く一礼する。そんな姿のほうが、その重みをより尊いものにする気がしてならないのです。それは同時にオリンピックを夢見て果たせなかった人、出場は叶ったもののメダルに手が届かなかった人たちに対するリスペクトではないかと私は思います。違ってますかね?2006年トリノ五輪フィギュアスケート女子シングルの金メダリスト荒川静香さんは、カメラマンからの「金メダルを噛んで」というリクエストに対し、「何故メダルを噛むのか意味がわからない」と断ったそうです。彼らはメダルに対するリスペクトより映える写真を撮ることの方が優先するのでしょう。外国の真似をする必要はない。日本には日本の、美しい所作がある。勝ったときこそ、謙虚に。手に入れたときこそ、感謝を忘れずに・・・。いつから日本人は、「世界に合わせる」ことを自然に選ぶようになったのだろう。私は、日本人はもっと謙虚であってほしいと願っています。強さの中に静けさを持ち、歓喜の中にも礼を忘れない。日本人には日本人の美しさがあると思っています。日本の美意識は、声高に誇ることよりも、静かに湛えることを尊ぶ。満開の桜よりも、散り際に心を寄せ、勝利の歓声よりも、試合後の一礼に価値を見いだす。喜びを爆発させるより、その重みを両手で受け止める姿にこそ、日本的な美しさがあるのではないかと私は思います。世界に合わせることが悪い訳ではない。けれど、世界に溶けてしまう必要もない。私たちには、長い時間をかけて育まれてきた所作と心の文化がある。メダルは噛むものではなく、胸に抱くもの。
これってやっぱり昭和生まれのジジイの時代遅れの暴論・偏見でしょうか?
でもこれが私の感じた違和感でした。



