服が好きだというと、
『お洒落が好きなんですね』
と受け取られることが多い。
もちろん、見た目を整えること自体は嫌いではない。
だが、自分にとって装うことは、単に洒落て見せるこことは違う。
もし【お洒落】だけが目的なら、
その時々のトレンドを追えばいい。
何が流行ってるのか、どうすれば今っぽく見えるのか、
周囲からどう評価されるのか。
その答えを集めていけば、ある程度は成立するはずだ。
だが、私が服に求めているのはそこではない。
私は服を、ただの表面的な記号としては見ていない。
その服が、
どんな時代に生まれ、どんな用途があり、
どんな人間たちがそれを着ていたのか。
服の背景にある空気や文化、
設計思想のようなものまで含めて惹かれる。
だから古い服に興味が向くのも、単なる懐古主義ではない。
そこには、時代の価値観や生き方が刻まれているからだ。
同時に、私は昔のファッションスタイルを
そのまま再現したいわけでもない。
ただ過去をなぞるだけでは、結局コスプレになってしまう。
大事なのは、過去の文脈に敬意を払いながら、今の自分の年齢や立場、感覚に通る形へと再編成することを大切にしている。
若い頃と同じように着られない。
だが、年齢を重ねた今だからこそ出せる渋みや抑制もある。
私が惹かれるのは、無骨さの中に品がある服だ。
ただ荒々しいだけでは物足りないし、綺麗すぎてもつまらない。
少しの反骨心、少しの色気、そして静かな知性。
そのあたりの均衛に美しさを感じる。
服は単なる飾りではなく、その人間がどう立つかを示すものだと思う。
結局のところ、私にとって装うとは、
他人に合わせるためではなく、
自分の軸を確かめるための行為なのだろう。
流行ではなく、迎合でもなく、ただ自分が何に敬意を払い、
何を美しいと思い、どう在りたいのかを身に纏う。
その積み重ねが、自分の服装であり、自分の生き方なのだと思う。


