だいぶ前のブログでも書きましたが、私って周囲の人に正しい審判を与える働きがどうもあるみたいです。どうゆうことかというと、例えば飲食店で美味しく、宣伝も頑張ってしているのに、たまたま人目にふれないのか流行ってない店、ありますよね。そうゆう店を私がたまたま見つけて、ココ美味しいな~と通うとするじゃないですか。必ず繁盛していきます。逆に有名で名が通っているけど実はたいしたことない店だと、私は賢くないので分かりません。美味しいな~って通います(笑)。必ず潰れます。もしくは店長が体調壊したりして、まあ結果潰れます(笑)。最初は私が通い出すと潰れるのかな~と思ってましたが潰れずに繁盛する店もあるわけです。人間もそうです。良くなっていく人もいます。反対に潰れたり、亡くなる人もいます。これ不思議なんです。「もう長くないからまだ元気なうちに見舞いに行ってあげて」なんて言われて病院に見舞いに行くとするじゃないですか。「よくなりますよ」なんて適当なこと言って握手すると、大体、次の日ぐらいに亡くなりますね。それで気が付いたんです。「ああ、自分は周囲の人が正しい審判が下される」って働きがあるんだ、と。ただの貧乏神じゃなかったのです。発展している人も多いですから。
ただ、私がイイな~っと思う店や人、実はちゃんとしてないところが多いみたいで、雇ったドライバーは今まで7人いるのですが、1人だけ自分で店を初めて成功してます。あとの6人のうち2人は死亡。4人は精神が崩壊して病院に入院してます。家の近くの喫茶店も、なかなか良い店だな~としばらく通ったら、マスターが入院です(笑)。だから私がよく行く店で繁盛している店や、私とよく一緒にいる人で元気な人は本当に素晴らしいと言えるでしょう。まあ、便利ですよ。よく「人を見抜く力を磨け」なんて言うじゃないですか。そんなことしなくても私と一緒にいて元気な人は大丈夫ですから。ダメな人は何かで逮捕されたり、精神が崩壊したり、亡くなったりしてますから(笑)。






