今回の話は風俗店はもちろん、どんな業種でも共通する話です。ものすごく真面目で正義感に溢れる人っています。自分は正しいと信じているだけではなくて、誰がみても正しくて悪いことには手を染めないという人です。そのような人はみんなに慕われているかといえばそうでもない場合も多いのです。節分ってみなさん知っていると思いますが、鬼を退治して厄を落とす、みたいなのは後世に脚色が加わったものです。元はあの鬼は国常立大神という神様がモデルです。節分は元はその神様の復活を祝う儀式で、節分の豆まきはその神様が追いやられる様子を再現したドラマになっています。国常立大神はどんな神様かというと、天照大神が太陽の神様に対して国常立大神は大地を作った、いわば地球そのものの神様です。その神様は善一筋でした。善を通すために一切妥協しない、そんな神様なのですが、他の神様が鬱陶しいなと思って牢屋みたいなところに閉じ込めて「煎り豆に花が咲くまで出てくるな」と罵声を浴びせながら煎り豆を投げつけました。その様子を再現したのが節分の豆まきです。煎り豆から芽が出て花が咲くことはないですから、永遠に出てくるなという意味です。これは神話ですが、神話というのは色々なことの比喩として描かれています。つまり神様であっても善一筋の神様は鬱陶しいのです。当然人間はもっと鬱陶しいと思うことでしょう。だから善一筋、悪いことはしない、という人は嫌われる傾向があります。もちろん人間ですから完全に善一筋なんてないのですが、悪の巣窟みたいな集団の中にちょっとまともな人がいると鬱陶しがられるものです。ハナミズキが規模が大きかった時は様々な不正がはびこる悪の巣窟みたいになっていました。その時にいたあるスタッフが言っていた言葉ですが「まともで素晴らしい女性が1人いるよりもどこに行っても通用しないようなどうしようもない女性が10人いた方が金になります。だからこの方向性で良いのです」というものです。実際その通りなんです。そのスタッフは経験でそのことを掴んでいたのでしょう。でもまともな人間だけで構成したらもっと業績は上がるはずです。だから法難の後、多くの女性が去っていった後にまともな女性だけで構成しているのが今のハナミズキです。
ではまともな人間がどうしようもない人間になんで嫌われるのかと言うと、自らの正義ををあくまで通そうとするからです。だから賢いお釈迦様はどうしたかというと和光同塵と言って神々しい光を落として行って塵と同化させて人を導くというやり方です。すなわち周囲の人達と同じ目の高さ、同じレベルまでへりくだって一緒にやってみる。そして「ああダメでしたね。じゃあここを変えてみましょうか」なんていうやり方です。クズ人間みたいな人には一緒にクズっぽくなって、そこから一緒に上がっていく、そうゆう導き方をお釈迦様はしていたのです。大変ですけど(笑)。だから今いる店や職場で「自分は正しいのに嫌われている」という人は、もちろん自分は正しいと思っているだけで他の人からはとんでもない人間と思われている場合は論外ですが、誰がみても正しくて「あなたが言うことや、やっていることは正論なんだけど・・・」と言われて嫌われている人は和光同塵という接し方を心掛けてみましょう。ちょっと考えたら分かりますが正義を貫き通すよりも、悪の巣窟みたいなレベルまで下がっていってからレベルを少しずつ一緒に成長している体にしながら引き上げていく方がはるかに大変です。でもそのやり方が周囲と和気あいあいとしながらみんなのレベルを引き上げていける唯一のやり方です。



