開かれた皇室なんて言うように学友に皇室の方がいたりと、一般人と皇室の人が触れ合う機会は昔より多くなっています。しかし、皇室の人が一般人と決定的に違う意識があります。それは天皇陛下はもちろんですが皇室の方はどんな末端の人でも「日本の国のためなら命を捨ててもよい」と本気で思っていることです。そして天皇陛下の主な仕事は何かというと朝な夕なと国民の幸せと国の安泰を祈願するということです。だから戦後、マッカーサーと面会した昭和天皇が真っ先に口にしたのは「自分の身はどうなっても良い。絞首刑にも応じる。その代わり国民だけは助けて欲しい」ということです。これにマッカーサーは驚いたわけですが、天皇陛下という人はそうゆう人です。だからどの時代の天皇陛下でも同じ状況なら同じことを言ったはずです。ところでどうしてこんな風に皇室の人は思えるのでしょうか。教育でそう刷り込まれている、なんて主張している人もいて、ゴーマニズム宣言で有名な漫画家は「皇室に生まれただけで全ての自由が剥奪され、国のために一生を捧げることを強制される。現代に残る究極の生贄だ」なんて主張していますが私は違うと思います。皇室に生まれる人、天皇として生まれる人は天が御魂を選んで選んで生まれています。生まれた時から御魂が違うのです。教育でそこまではなりません。なぜ、そう断言できるのかというと私が良い証明です。私は幼少から英語教育からヴァイオリン、ピアノ、さらに水泳や剣道、また進学塾での受験教育と、自分で言うのもなんですが最高水準の英才教育を受けてきました。でも今の私を見て下さい。これですから(笑)。だから教育で才能を超えられないと証明できています。ちなみに私の場合は両親に対する修行の面が強かったのでしょう。私は兄がいるのですが、頭が良くて教えたことはすぐにマスターできる。一流大学を卒業して一流企業に就職しました。今はその企業の子会社で代表取締役社長になってます。そんな優秀な兄がいるものだから、もっと金をかけて、もっと立派に教育したらすごいことになるはずだ、と両親は思ったことでしょう。ところが、どんな優秀な教師をつけてどんなに教育しても全く進歩しない子供、それが私です(笑)。だから両親は試行錯誤して魂がさぞ磨かれたことでしょう。世間一般では全くダメな次男なんて言われていますが、神様からみたら両親の修行に大いに貢献した人物と言えるでしょう。これが逆なら両親も教育に情熱をかける気にならなかったと思います。最初の子が優秀でモチベーションを上げておいて、後にとんでもないのが出てきたから良かった。そう思います(笑)。
だから生まれ持って皇室に生まれる人はやはり違うのです。教育で「国のためなら命を捧げてもよい」なんて考えになりません。そんな立派な方が天皇陛下になって朝な夕なと私たちの幸せを祈願して下さっているのです。天皇陛下とはいわば全国の神主の総大将ですから。その祈願代金、国民1人あたり年間150円から250円です。そんな微々たる金額で神主の総大将が毎日祈願して下さっているということに有難さと申し訳なさがこみあげてきます。それが普通だと思います。ですから皇室を税金の無駄遣いだなんて人には心底腹が立ちます。そしてこんな皇室がずっと続いている日本に生まれてこれたことを嬉しく思います。



