各地域で夏祭りが開催されていることも多い時期になりました。神社の夏祭りなんかではたくさんの人の協力が必要です。祭りで腕章に「ボランティア」と書いてある人と「ご奉仕」と書かれた人がいます。この2つは明確に違います。「ボランティア」と書かれた人は、まあ誰でもなれます。頼まれた近所の人なんかも含まれているでしょう。一方「ご奉仕」というのは、「日ごろの恩に何とか報いたいからさせて頂けないでしょうか?」とお伺いを立てて神社側が「よろしい」と許可して初めてなれるものです。これは神様の目から見たら明確に違います。「ボランティア」は、地域の人のためにという対象があくまで「人」なんです。そしてその行為に対して人々は報いてくれたりくれなかったりします。以前のブログで「人間はいつかかならず裏切る」というのはそういうことです。必ず毎回報いてくれるとは限りません。一方「ご奉仕」の人達というのは「神様の役に立ちたい」と発願して「よろしい」と許可された人達なので対象が「神様」なんです。人間はいつか必ず裏切りますが神は絶対に裏切りません。つまり「神のために」と思って行った行為は神が必ず報いてくれます。
では報いてくれる、というのは具体的に何をくれるのか。それは必ずくれるものは歓喜です。「神のために」と行った行為ことに対しては「ご苦労だったね」と神は神徳をくれますがそれを頂くと心のそこから湧き出る喜びに包まれます。それが基本給みたいなものです。それにプラスして神様も得意な分野がありますから、その得意分野に応じた神徳をくれます。だから祭りがあって「ご奉仕」に応募して合格して祭りが終わった後に「しんどい」「疲れた」「金もらえなくて馬鹿らしい」なんて気持ちになったら中身が「ご奉仕」になってなかったということです。いつの間にか「人間」のためにやっていた。すなわちただのボランティアになっていた、ということです。人間のためにやっても人間は報いてくれたりくれなかったりします。同じ人間でもある時は報いてくれてある時は報いてくれなかったりします。でも神は決して裏切りません。神のために、と行ったことは全部報いてくれます。だから祭りが終わった後に歓喜に溢れていないとおかしいのです。もしそうでなかったら、いつの間にか人のためにしていたということです。例えば、祭り会場なんかトイレ掃除は大変ですが「使う人が気持ちよく使えるように」と掃除するのはただのボランティアです。これが「ご奉仕」として行うと「この神域にあるトイレの神が喜んでくれますように」という気持ちで対象が神になります。だから神が報いてくれるのです。トイレの神ってどんな神かというと金勝要の神。最高神の化身です。だいたいヒーローのような女神とかカッコイイ役は他の神にさせて、地獄の鬼とかトイレの神どの汚れ仕事みたいなのは最高神が化身した神がします。だから「ご奉仕」としてトイレ掃除をしたら金勝要の神がちゃんと報いて歓喜をまず基本給で与えるとともに、最高神の化身だから他の神に命じて必要な範囲で全てを整えてくれます。これが「ご奉仕」としてのトイレ掃除です。
ここまでのことを意識して「ご奉仕」、「ボランティア」の腕章を見ていたかどうかは知りませんが、そういうことです。そのことが分かると以前ブログで「人間はいつか裏切る」というのは何のことを言っていたのかが分かると思います。「人間はいつか裏切る」の続きは「しかし神は決して裏切らない」なのです。



