入浴中に「亡くなった恋人や旦那や妻と自分が亡くなった後に会えるのかどうか」これを書いておいた方が良いな、と急に思いました。なんでそんなことが浮かんでくるのかというと、前から言っているようにブログを読んでくれている人と私は見えない縁というか絆がつながっています。例えて言うなら、男性の読者が右のキンタマ、女性の読者が左のキンタマ、真ん中のチンチンが私、まあこんな感じです。上品な例えでしょう(笑)。だからたぶん読んでいる人の誰かが強烈にそれを知りたがっているのでしょう。なんで店長ブログにこんなこと書くのかは私も理解に苦しみますが、どうせハナミズキのブログだから良いでしょう(笑)。まず、結論から言うと会えます。ただ死んで肉体がなくなると同じレベルの人同士が集まっています。生きている時は肉体があるから物理法則に則っている限り自分よりスゴイ人間ともどうしようもない人間とも礼節を尽くせば交流できます。だから磨かれて進歩するのです。死んで肉体がなくなると同じレベルのもの同士が集まっているので楽ですが進歩はあまりないです。そんなこというと夫婦で先に死別した妻や夫とはレベルが違ったら会えないのではないかと思うかもしれませんが、現実に夫婦でいられるのは同じレベルです。他人から見たら奥さんが立派で旦那はちょっと・・・と思う場合も、他人から見えるところはそうかもしれませんがトータルでは同じレベルです。例えば旦那が先に死んで、その死んだ瞬間は2人同じレベルです。その後、奥さんは生きていくのでドンドン進化していきます。一方旦那さんはよっぽど頑張らないと奥さんにドンドンレベルが離されます。そして奥さんが死んだ時、死んで肉体が亡くなったら会いたいと思った相手とはすぐ会えます。でも会った時にあまりにレベルが離れていると奥さんは「こんなんだったかな~」となるし旦那さんも「ちょっと俺の器では無理だな」みたいになります。よく同窓会で再会したカップルみたいな感じです。そして「また会おうね」なんて言って疎遠になっていく(笑)。だから先に死んだ方はボ~っと死んでる場合じゃないんです(笑)。残っている伴侶が体験したことを自分のことのように追体験することで同じように進歩できます。そうしないと残された方が死んであの世で再会した時に愛想つかされるということになります。だからといって後追い自殺なんかした日には会えるには会えるけど、途中で投げ出してきたものだから自殺した方は後ろめたいのと、断末魔の苦しみがず~とあって痛いからそれどころじゃないのと、追われた先に死んでる方も会った時に「生理的に無理」っていう感情になります。だから残された方は「今日こんなことがあったよ」と報告するとは思いますが、「他人事だと思わずお前も一緒に悩み苦しむんだぞ」という感じで報告する。死んだ方は死んだ方で同じレベルの人同士で楽かもしれないけどそこでボ~っと死んでるとあの世に伴侶が来た時に愛想つかされるから伴侶が報告してくれたことを自分のことのように一緒に悩み苦しみ、その過程を追体験する。そうしたら再会した時に元のように一緒にいれます。
肉体を持って生きている時は色々なレベルの人と会えます。だからすごいテンポで進歩、成長ができるのです。だから生きているのがどれだけすごいことなのかっていうのは死んだら分かります。私も救霊といって彷徨って人に憑いてしまっている霊を導いて救うということをすることがありますが、私に説得されるまでボ~としているからそういえば死んでたっけ、なんていうのが山ほどいます。同じレベル同士しかいないということがいかに悟るのが難しい分かります。生きているからみんな当たり前に周囲の人の言動をみて色々なことを悟れるのですが死んだらかなり難しいのです。だから生きている今は黄金の時なんだということを自覚し感謝するべきです。今回はこんな内容のブログになりましたが、おそらくこんな内容を求めている人がいるのでしょう。「自分がそうだ」と思う人はこのブログを自分が祈ったことに対する答えだ、とよく胸に刻んで下さい。そして「関係ないよ。また頭狂ったこと書いているよ。今日は絶好調に狂っているな」と思う人は爆サイに書き込むなりして大いに騒いで下さい(笑)。



